いつもの場所で、ぼうっと空を眺めていた。 変わらない様で、少しずつ変わっていく空。 動いてない様で、少しずつ動いていく時間。 …穏やかな時間を過ごす、この瞬間を。 いつまでも、大切な人達と一緒に過ごせたら。 ―そう思っていた。 * * * その日はとても風が強かった。 いや、正確に言えば、午後になってから急に風が出てきたのだ。 「あ、雲が…」 見上げた時、大きな雲があったはずなのに、次に見上げた時にはもうばらばらになってしまっていた。 何故か無性に空しくなった。 この風は一体何を壊そうというのか。 この風は、何故そこまでして壊したそれを流してしまうのか…―? 「…きゃあっ」 いきなり突風が吹き荒れ、 「やっ」 目に埃が入る。慌ててそれを払おうとして、 すっ転んだ。 「…いったぁ」 転んだ際に尻餅をついたけれど、丁度雑草の生えている所でだったので大して痛くはなかった。 …それよりもあたしが気にしたのは。 「ごめんね、だめにしちゃって」 そろそろと半分立ち上がり、足元を確認してから下敷きにしてしまった雑草の辺りを見る。 名前は判らないけれど、この雑草も一生懸命生きているんだ。 そう思ってから葉をゆっくりと撫で、再び空を見上げようとしっかり立ち上がり― 「・・・・・」 がさ、と草をかき分けるような足音が近づいてくるのに気づいた。 こんな時間に、あたしがここに居るのを知ってるのは…ごく僅かのはずだ。 あの人と…、フィーレちゃんと、そして、 「藤崎君?」 ゆっくりと振り向いたその先に居たのは、やはり彼だった。 「…よう」 心なしか、元気無さそうな声での挨拶。 いつもなら気にならないはずのそれは、何故か今日は逆に気になって… ―…だけど聞いちゃいけない気がして無理にそれを頭の中で打ち消した。 「こんにちはっ。どうしたの? …もうこんな時間なのに、こんな所まで来て」 彼の傍に駆け寄り、その顔を覗き込んで、 「あたしに用かな・・・・・・、…っ」 ・・・・そこに泣きそうな瞳を見つけた。 訳もなく心臓がどくんと高鳴り、慌てて視線を逸らすように顔を上げ、 逃げているのだと気づかれぬよう数歩下がる。 「…どうしたの?」 少しためらって、掠れそうになる声と頭をなんとか…平静に保ちながら聞く。 でも視線は若干逸らしたままだ。 ――彼の目を直視できない。一瞬感じた不安が、拭えない。 さっき、一人の時に聴いた幻聴―フィーレちゃんからの別れの言葉―が頭を過ぎる。 あたしの問いに、彼はゆっくりと重そうな口を開いて― 「…遼子に、伝えに来た」 真っ直ぐ見据えた、彼のその瞳の片方に、涙を見つけてしまい、その瞬間判ってしまった。 何故この時間に来て、そんな顔で、あたしに何を言おうとしてるのか。 「フィーレが、」 「嫌、聞きたくない!」 彼女の名前を発したその口を瞬時に塞いだ。 聞きたくない、…聞きたくない。 そんな、まるで、さっき感じた不安が当たってしまうなんて…あれが本当の事だなんて…こと。 だってこないだ3人で会ったときは、フィーレちゃんあんなに元気そうにだったのに。あんなに笑顔だったのに。あんなに… 「嫌だよ、そんなこと言っちゃ…ぁ……いや、だよ……」 無意識のうちに口から出た言葉は、殆ど泣き声で…そのままあたしはずるずると彼にもたれ掛かった。 「……さっき、見取ってきたんだ」 「えっ?」 塞いだ手を取って、藤崎君が呟く。 (それじゃあ、あの幻聴はまるで…あの時…) 恐る恐る、ゆっくりと彼の顔を見上げると、その顔は―どこも、見ていないかのように見えた。 そして取られた手が、力なく、下ろされる。 「フィーレは……言っていたよ、言ったんだ、」 その声が、後になるにつれて段々震えた―今にも泣き出しそうな、何かを堪えたモノになっていく。 …彼のその言葉の先を聞くのが怖かった。だからさっきは、口を塞いでまで止めてしまった。 でも現実は受け入れなきゃいけなくて…だけど、受け入れたら、その場で声を上げて泣き出してしまいそうな自分が居て。 「最期に………俺と、遼子が、…幸せになれる様に、って」 もう、限界だった。 その言葉を聞いた瞬間に、堪えてた涙が滝のように溢れ流れ出し、頬を伝う。 そんなどうしようもなくボロボロの顔で、あたしは、藤崎君の顔でなくその蒼い目だけを真っ直ぐに視て、叫んだ。 「どう、して…っ!」 ―あたしをそこへ呼んでくれなかったの、と喉まで出掛けて、すんでの所で押し込める。 そんなの判ってる、だって2人は恋人同士で、あたしは…。 それでも!頭では判ってるのに! 次から次へと、涙が溢れてきて止まらない、止まってくれない。 目を閉じればそこに浮かぶのは、フィーレちゃんの笑顔ばかりで― 「どうして・・・・っ…、ぁ、うぁああああん…!」 とにかくもう――悲しくて悲しくて堪らなくて、彼の身体に抱きつくようにしがみついたまま、声を上げて泣き出した。 …いつの間にか腰に添えられた、彼の、仄かに温かな手が、あたしをほんの少しだけ抱き寄せていて、 それが今の彼の、精一杯なのだと気づいてあたしは胸に顔を埋めた。只溢れる涙だけが、彼の服を濡らす。 嗚咽する声の止まらないあたしを、藤崎君はずっと、泣きやむまで頭を撫で続けてくれた―。 * * * 夕日がゆっくりと落ちていくのを。 …近くのベンチに座ったあたし達は、ただぼーっと、それを見つめていた。 何もせずとも流れていってしまう時間。今どんな想いで彼はあの夕日を見ているのだろう? あの夕日が沈んでしまえば、訪れるのは、月と夜の静けさと… 「…孤独」 知らずのうちに口から出た。慌てて自分の口を塞ぐが、遅い。 「もう何年も… …縁なんか、無かったよ」 ぼそっと放たれた藤崎君の言葉につい反射的に視線をやると同時に、彼が肩にもたれかかって来た。 少しどきっとしたけれど、そのまま彼の重みを受け止める。 ―そして、沈黙。 時計台なんてものはこの辺にはないから、時間にして、どれ位経ったかどうかなんてわからない。 只、その合間にも夕日はゆっくりと、地平線の向こうへ―落ちて、いく。 まるで今日という日が終わって欲しくないかの様に、とてもゆっくりと―…? 違った。そうじゃない。…あたしが、そうであって欲しいと思ってるんだ。 …そう思うと、自然と目頭が熱くなってきて。 「後悔はしてないんでしょ?」 何故か、また泣きそうになるのを堪えながら彼に、聞いてみる。 「…ああ」 眠ってはいなかったらしく、返事が返ってくる―その声の近さに、また心臓がどきりと、自分の中で大きく鳴るのを手で押さえて。 改めて、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、楽しかった日々の思い出。 例えば先頭を走るあたし、その後に続くフィーレちゃんの零れそうな笑顔と、彼女を気遣うように追いかける、藤崎君の苦笑したような笑顔―。 この数ヶ月の間に、そんな色々な事があって。うん、本当に楽しくて、後悔はしてな… (――あ。) たった、1つだけ。 「あたしは後悔してる」 「なっ…」 その一言で、彼が身体を起こす。でも多分彼は誤解している。あたしが後悔したのは― 「だって…ずるいよ、フィーレちゃん」 ―あの時聞こえた、声。 「あたしは、許せないよ」 彼の視線が、あたしの顔を貫く様に見つめてる。 ―最初は空耳かと思った姿無き声の、最後の言葉は確かに「だいすき」、と言っていたんだ。 それなのに。…それなのに、彼女はあたしに、 「さよなら、って…お別れの言葉すら、言わせてくれなかったんだもの!」 ただそれだけ。 熱かった目頭からいつのまにか涙が流れ。 聞いていることしかできなかったのが悔しかった、こちらの声が届かないのが悔しかった。 それが最期の言葉なら尚更で― 「遼子…だけど、それは仕方なかった」 「そうじゃないの藤崎君、あのね、聞いて。」 肩を掴み諫めるように言う彼の言葉を遮って、あたしは。 「彼女、逝く前かその後か判らないけど、藤崎君があたしの所に来る前に、声が―だから、だから……」 そこから先はもう涙声で、上手く喋れなかった。 「ふぃーれちゃん、の、ばかぁぁ…ぁう、う―」 先ので枯れるほど泣いたはずなのに、彼女を想う度にこの胸は熱くなり、涙が溢れ出す。 拭っても拭っても、後から溢れてくる涙を止められなくて。 …望まずとも進んでいく時間が、今は只無性に悲しい。 「泣くなとは言わないから…」 事を理解したのか察したのか、彼の手があたしの頭を撫でる。 …結局、日が完全に落ちて、空に満月が浮かぶまであたしは泣き続けた―。 * * * 「もう、大丈夫か?」 「…うん」 泣き腫らしたあたしの顔を覗き込んで彼は聞いた。 すっかり、夜だ。 空を見上げてあたしは呟く。 「夜だよ」 「…そう、だな」 言葉につられて彼も空を見上げる。 今夜は満月だ。それに負けじと、他の星々も輝いて… ―きらり、と、一筋の光が流れる。 「あ、流れ星!」 言って瞬きした間に、消えてしまっていた。 「願い事でもあったのか?」 微笑んで言う藤崎君に、あたしは、ふふふーと笑って。 「…さて、何でしょう? なんてねっ!」 ――この胸の内の願いは、今は秘密にしておくことにした。 <<戻る