出会った少女の瞳は、黒く。
その瞳の中に確かに自分は映っていた。
─── Sign
暑い日だ。
毎日毎日、うだるような暑さが続く。
服が汗で肌に張り付くのが、私の頭をイライラさせる。
だが、こんな日々もあと少しだ、もうじき出航の日がくるだろう。
カナン諸島へは、一足先に妖精達を送り込んだ。
やることは一通り済ませた。
しかし、あの有名な赤毛の冒険家─アドル・クリスティンは、邪魔になる可能性がある。
とりあえずは兵を差し向けた方がよさそうだろう。
あとは提督や艦隊と共に、大渦の解かれたカナン諸島へ乗り込むだけ───
「・・・少し、街を歩くか」
軽い目眩。
別にこれが最後か、と思った訳ではなく。
ただ何となく、外を歩きたくなったのだ。
── この地を歩くのは、これで最後かもしれないのだから。
書きかけの書類を手短に片付けると、使用人に留守を頼んで私は外へと出た。
賑わう街中。
その中を一人歩くと、長身とその艶やかな黒髪のせいで、どうしても目立った。
人々とすれ違う度、誰もが私を見、何か囁き交わしあう。
…もうとうの昔に慣れた。
何故なら私は─この、ロムン帝国艦隊の副官─なのだから。
そうと判っているものの、そんな中を歩いているのは精神的によろしくない。
私は街路を外れると、港側・・・外に沿って歩き始めた。
街路から続いてきた街路樹の、途切れる先はレンガの壁になっている。
そのレンガの壁伝いに、街を抜ければ、港と───海だ。
寄せては返す波打ち際の、少し離れたその砂地に、少女は居た。
照らす太陽の光の中で、その姿は実に静かだ。
白いワンピースから生える腕と足は細く、色白で。
何より目を惹かれるのは、自分と同じように腰まで伸びた、黒い髪───
その風貌に、見入った。
海の青さより、空の青さよりも、時々響いてくる街の音よりも・・・
ばしゃん、と大きく波が砂浜に打ち付けられた。
「──あ・・・っ」
少女の足元が波に持っていかれる。
「! お───」
思わず声を上げた。
言い終わらないうちに、少女がこっちを振り向く。
その瞳は黒く、表情も無く………
ばっしゃん、と小さな水飛沫をたてながら少女は倒れた。
「───助けてくれてありがとうございます」
「私は何もしていないだろう・・・」
開口一番にそう言った少女を、私は顔を背けながら応える。
見入ったときに感じた魅力は、そこにはない。
代わりに、水に濡れた服の半身が、彼女の別の魅力を前面に出している。
しかし、そのような色気に釘付けになり…変な欲を興しそうになる程、人間が出来ていないわけでは、ない。
「そうでもないですよ。貴方に気づかなかったら、あたしきっと、頭から砂浜に突っ込んでいました」
ふふ、と微笑みながら少女は、濡れた髪の水気を絞りながら言う。
「それに・・・ ちょっとだけ、嬉しかった」
その言葉の意味するところがわからず、私は首をかしげる。
───少女は、海の方へと身を翻して。
「あたし、こうやって海を見るのが、初めてなんです」
一言告げて、空を見上げた。釣られて私まで空を見上げる。
「自分のいる世界は───暗くて、時間が止まったみたいで。誰も、居なくて。
いつも、暗い底から、この海を見上げているの・・・
だけど、今日は違った。初めてこの姿でこの場所に立つことができた。
初めて、キレイな海を眺めることができた。
・・・そして、あたしを望む貴方に出会えた」
「なにを・・・」
最後の一言に驚いて、思わず少女に視線をやると、相手は凛とした姿勢で、こちらを見据えていた。
その黒い瞳の中に、自分自身が映る。
少女は、胸の前で手を組んで───静かに、口を開いた。
「あたしは・・・貴方を──黒鍵、アルマリオンを・・・待っています」
身内しか知らないその言葉を、少女はさらりと言い放つ。
─── その一方で、少女の足がさらさらと、砂に、空気に解けて消えていく。
「お前は───、」
ちょっと待ってくれ、と私が言いかけた時には、既に下半身は無くなっていた。
「主(あるじ)よ・・・・・次に出会う時には───」
もう、顔しか其処には無かった。
「──その名前を・・・私に」
目の前のモノが全て消えて───視界が暗転する。
ぱち。
書き終えたはずの書類が目の前にあった。
「な・・・」
珍しく動揺してしまう。慌てて辺りを見回して──気づいた。
「白昼夢───か?」
時計の針が随分と勝手に移動していた。
恐らくは、そういうことなのだと。
───予兆、なのかもしれないな。
一人きりの部屋で。誰にも聴こえないくらいの声で呟くと、書類を書き上げてしまう。
外はまだ明るい。街の音に混じって、微かに波の音がした。
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